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魯迅を見直す 3、 三島由紀夫との接点

2006/11/25 07:39

 

じゃあ愛国心のなにが一番大切な点かといえば、日本の場合は天皇制です、これが肝心なところ。

 

三島由紀夫(故人ゆえ、敬称ぬきでいきます)が東大全共闘の占拠する安田講堂に単身乗り込んで、全共闘を前に一席ぶったということがありました、もう憶えてる人も少なくなったでしょうが、そんとき三島先生(あ、やっぱりつけちゃった)がこういった、「諸君が天皇といえば共闘できる」ってね。もちろん全共闘の連中にはその意とするところは理解できるはずもなく、ヤジり倒したわけなんですが。これがある伏線であったことは、後にわかりました。

 

当時、三島先生の言わんとするところを理解できた人がどれほどいたでしょう?時代は左傾化の時代、「政治的道化師」とまでいわれていましたからねえ、「楯の会」もパフォーマンスだとおもってた人が大部分でした。ところが昭和45年11月25日、三島先生は陸上自衛隊市谷駐屯地東部方面総監部に討ち入り、ここでもヤジられながら日本人すべてにあるメッセージを打ち込み、そして立派に自裁されました。本気だったわけです。(『東アジア黙示録』さんの「壮絶な自決から36年…憂国の烈士・森田必勝を讃える 」http://dogma.at.webry.info/200611/article_21.html
をご参考ください。

 

魯迅と三島由紀夫、なんとも奇妙な組み合わせとお思いになるでしょうが、愛国という一点で日本とシナが合い照らしあっている、と想像していただけませんか?(それにこのお二人、ともに二―チェ好きってことでも共通してます。)

 

パラダイム、ってものがあります。「思想の枠組み」っていうんですか、ある時代の人間が逃れられない考え方、発想法の枠組み、後の時代からみると、何で皆ああ莫迦なことを考え、やってたんだろうか、てえのもこのパラダイムのせいなんです。20世紀はマルクス主義の時代、ってなもんで、サヨクにあらずんば人にあらず、っていう雰囲気あったでしょう。

 

そのパラダイムから,未だに逃れられない思考停止した連中が、今のサヨク、及びリベラル派(コムュニストといってほしい)、進歩的知識人(退歩的、って言い換えなくっちゃあ)等などの有象無象なんですね。実はこの「リベラル」とか「進歩派」なんて言葉、これこそ古い過ぎ去ったパラダイムの名残なんですがねえ。

 

そのパラダイムの中での「サヨク」を考えて見なくちゃあいけない。

 

カテゴリ: 世界から  > 中国・台湾    フォルダ: 魯迅

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コメント(19)

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2006/11/25 07:51

Commented by torisan さん

はい。

 
 

2006/11/25 08:44

Commented by 丸山光三 さん

??出席届け、という意味ですか?でなんの授業?

 
 

2006/11/25 08:59

Commented by れん@打倒東電中 さん

ははは。
おいちゃんかぶった。

 
 

2006/11/25 09:20

Commented by 丸山光三 さん

??かぶったてなにを?ああテーマがかぶったって意味?

 
 

2006/11/25 09:20

Commented by torisan さん

そのパラダイムの中での「サヨク」を考えて見なくちゃあいけない。


はい。      続く  以上。

 
 

2006/11/25 10:31

Commented by お絵かき爺 さん

師匠、
いやはや、大変な頭の回転、スピードやな。
恐れ入りました。何度いうやら。三島由紀夫は読んだことなし。保守、OKだけれど、実際のシステムをどうするかがありますね。まず、師匠の哲学のレベルから、少し具体的に行けばポパーがいました。亡くなったのはごく最近。

 
 

2006/11/25 10:38

Commented by 小龍景光 さん

Lieber Herr Marco!

前世紀のパラダイムの遺物というご指摘には全く同感です!
三島先生の自決は子供心に非常に大きなショックを受けました。どうして自決しなければならなかったのか・・・

当時の週刊誌に三島先生の演説を収録したソノシートが付いていて、何回も何回も聞きましたが意味するところが分りませんでした。

そんな私に叔父が買ってくれたのが「英霊の声・憂国」だったのです。小学校四年のときのこの本との出会いが三島文学に触れる切っ掛けとなりました。

父に「倶に自決なさった森田必勝氏がいたことは、三島由紀夫を勇気づける大きな要因になったはずだ」と教えられました。「本当に心を許した友人とか、目的を一にする仲間とはそういうものだ」と言われたのを今でも忘れられません。

それにしても三島先生の紡ぎ出す日本語の素晴らしさには、いつも感動します。あれほど絢爛豪華な文章を書けるというのは、やはり天才なのでしょう。

 
 

2006/11/25 12:58

Commented by urai さん

三島由紀夫の自決は、反対勢力側のショックのほうが大きかったように思います。中曽根康弘石原慎太郎は冷静な批判派でした。日本の新しい世代の会のメンバーであった私は、ですので冷静に自決を見つめていたほうです。でも新幹線から楯の会の建物があったのがたしか見えていたと思うのですが、いつも冥福を願っていました。
森田必勝はたしか生長の家のメンバーで、それだから死を恐れることはなかったのでしょうね。

 
 

2006/11/25 20:10

Commented by 丸山光三 さん

Buongiorno お絵かきおじいさま、
あ、ポパーは一時あたしの目標でした、といっても哲学レベルではなく「労働しながら考える」というテーゼに引かれてある工場で臨時工をしていたころの心の糧でした。いまのニートの方々には有効な考えかも知れません。
しかしそのころ森有正を読み込んで大きく歩く方向が転換しました。これについてはおいおい述べていくつもりです。

 
 

2006/11/25 20:18

Commented by 丸山光三 さん

Hallo lieber Herr Koryu,
あたしは当時高校生でした。三島由紀夫の文体には実際ほれぼれしほとんどの著作を耽読ました。他所でも書きましたが、当時は三島由紀夫大江健三郎、さらには高橋和己をずいぶんと読みました。右も左も一緒くたにして乱読していたわけです。
『奔馬』まで読んだところであの事件でしたから、まさに驚愕しました。今ならシンクロ二シテイと受け止めたでしょうが、当時はそういう言葉は知りませんでした。
そのとき彼により打ち込まれたメッセージはだんだん日本に効いてきていると思います。もう少しです。

 
 

2006/11/25 20:33

Commented by 丸山光三 さん

雨来さん、
昭和43年の参議院選挙当時は、あたしはまだ中学生でした、とすると雨来さんはお姉さんですね。石原慎太郎トップ当選はよく憶えていますが、それより同年末におこった「三億円事件」の方がより印象深く記憶しています。
昭和45年の際は、石原慎太郎氏と中曽根氏のコメントにひどく腹を立てたことをはっきり記憶しています。しかしその後、石原氏は再考熟考されたようですね。
>>反対勢力側のショック
といえば、その影響はその後の「連合赤軍」や「東アジア反日武装戦線」にはっきり現れたと思います。
しかし「天皇」の名の下に共闘しようと呼びかけられた全共闘はその真意をとうとう理解できなかったようです。

 
 

2006/11/25 23:18

Commented by urai さん

石原慎太郎三島由紀夫はうまがあわなかったようです。梅原猛三島由紀夫もそんな感じですかね。

>雨来さんはお姉さん
ではなくて、お兄さん、のほうです。私が年上でしたか?

 
 

2006/11/26 02:40

Commented by ウロボロス さん

拙ブログご紹介下さりまして、有り難うございます
(あれ、HNが違うぞ)
『憂国忌』に行って終電で帰ってきました。報告リポートを双方にアップする予定ですが、寝ちゃうかも…(現在0%完成)
三島はニーチェ好きですね。ある意味、突き抜けた部分が似ている。三島・森田事件は、当時の社会背景を知らないと理解できないといわれますが、さて、どんな世相だったのか…
うむ、コメント長くなりそうなので早くエントリあげまーす。

 
 

2006/11/26 05:45

Commented by 丸山光三 さん

雨来さんはお兄さんでしたか?いや失礼しました。しかしなにか強い女性性(??)を文章から感じているのですが・・・

 
 

2006/11/26 05:49

Commented by 丸山光三 さん

ウロアネ姉さん(こっちは間違いなし!!)
>>三島はニーチェ好きですね。ある意味、突き抜けた部分が似ている。
やっぱりそう思われますか?
新エントリー大いに期待してます。

 
 

2006/11/26 06:35

Commented by torisan さん

あはは、親分間違えてる、あたしゃはずさなかったよ、ふふふ~ん・・。

 
 

2006/11/26 08:03

Commented by 丸山光三 さん

うふふ、ひよさま、もしかして・・・

 
 

2006/11/26 21:35

Commented by - さん

おいちゃん▽・w・▽こんばんわんこ

三島由紀夫さんは「昔の映像」でしか見た事ないけれど、校舎の上?で日の丸の鉢巻して茶色のガクラン?みたいの来て演説してる姿・・・
そのあと切腹したって事は知ってます。
(歴史でならいました)
その時は天皇制がイヤで安保反対?の人ばかりのデモが凄かったらしいですね。
でも三島さんはその何十年先の事が見えてた様ですね。自決はしないで欲しかったな~
今でも生きてたら、きっといい事言ってくれそうなのにな~惜しい!です。(o;~;)oグスン…

 
 

2006/11/26 21:52

Commented by 丸山光三 さん

renotaさん、
おひさしぶりー!
>>校舎の上?
あれが陸上自衛隊市谷駐屯地東部方面総監部なんですが・・
>>茶色のガクラン?
あれが「楯の会」の制服だったんですが・・・
>>自決はしないで欲しかったな~
ふうむ、でもあの自決こそ日本人への強烈なメッセージだったんですが・・・

なんか「ですが・・・・」がおおくなりましたが・・・・
でもrenotaさんのようなお若い方々に興味をもっていただけるのはうれしいです、と今度はきっぱり!

 
 
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2006/11/26 22:04

【第36回憂国忌】三島由紀夫の『在日論』 [憂国のシャングリラ]

 

三島由紀夫、森田必勝の憂国の諫死から36年。日本列島に与えたその衝撃はどれほど大きなものだったのか… 事件から16日…「三島由紀夫氏追悼の夕べ」が東京・池袋の豊島公会堂で開かれた。 駆けつけた人々の数は開場…

 

2006/11/26 02:29

壮絶な自決から36年…憂国の烈士・森田必勝を讃える [東アジア黙示録  ]

 

市ヶ谷で諫死を遂げた三島由紀夫が再び脚光を浴びる中、25歳の若さで共に自決した森田必勝の存在を忘れてはならない。烈士・森田が夢に見た祖国日本のあるべき姿とはどのようなものだったのか。

 

2006/11/25 18:11

櫻井よしこ氏の闘い! [博士の独り言]

 

&nbsp;&nbsp;10月2日にランキング(政治)に再参加 臓器収奪のために国民を大量殺害!&nbsp;「大国」としての資格が問われる中共 処刑場へ連行される死刑囚。中共の死刑囚は処刑された後、臓器の行方が不明となる(G…

 

2006/11/25 13:41

愛国心 ~ 日教組とマスコミ [大和心を人問はば・・・iZa版]

 

日教組は10月26日、同法改正に反対し31年ぶりに「非常事態」を宣言 それこそ彼等が蛇蝎のごとく嫌っている軍国主義の亡霊のような言葉だ。 非常事態宣言でも何でも良いが、生徒のことを第一義に考えるべき教員…

 

2006/11/25 09:00

11月25日 三島由紀夫を偲ぶ [ド素人が行く!!]

 

今日は三島由紀夫が市ヶ谷で自決した日ですね。 新しく「愛国・憂国の士」というフォルダを作って偲びたいと思います。 1970年(昭和45年)45歳11月25日東京・市ヶ谷で割腹自決。 辞世の句 益荒男が手挟む太刀の鞘鳴…