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南チロルの歴史3、国語をとりもどす

2007/07/22 18:21

 


第一次大戦後のイタリアはファシズムの道を突き進みましたので、南チロルに対しても強力なイタリア同化政策を実施しました。すなわちドイツ語使用禁止、地名のイタリア語への変更、さらには南イタリアからの移民の奨励などでした。

 

実にファシズムの名に恥じない政策ではありました。そしてヒトラーのドイツも、イタリア同化をよしとしない南チロル住民をドイツへ受け入れもしたのですから、不快ながらも同意したというところだったのでしょうか?

 

ボーゼン旧市街の西正面入り口に立つ凱旋門。イタリアの政治権力がこの地に及んだことの記念碑。


故郷を捨てドイツオーストリアへ移住できるものは、おそらく限られた人たちだったでしょう。それは近い例として香港「復帰」以前の住民の海外移住の状況からも推して知ることができるでしょう。一般民衆は土地と財産をすてて故郷を離れるすべはないのです。

 

ムッソリーニ政権の連合国への投降後は、ナチス・ドイツの占領を受けドイツ語を回復したのもつかの間、戦後またイタリアに復帰します。国語を再び失った人々の思いは如何だったでしょうか?

 

その後、完全自治、チロル統一を求める運動もありテロ活動も行われ、ちょうどバスクや北アイルランドのような様相をきたしてもいたのですが、現在は大幅な自治も認められ、ドイツ語による教育も行われています。

 

またオーストリアのEU加盟にともない、国境が消滅し両国間の人、もの、資本の移動はまったくの自由となりました。

 

そのためか、現在は表面上はめだった紛争問題はないように見受けられます。

 

さてこの地方現在の言語使用状況はというと、各地平均した場合はドイツ語が約70%、イタリア語27%、ラディン語というイタリア語にちかいラテン語系の現地語がその他少数という統計があります。

 

Kalterer(Caldaro)のマルクト広場。ドイツオーストリアそのままの風情。


しかし地方の農村では90%以上がドイツ語使用という村が多く、ただ首都のボーゼンでは、イタリア語70%、ドイツ語が25%と逆転しています。

 

これは二つの戦後に実施された、南部イタリアの貧窮したシチリアやサルデーニアからの移民が首都に集中していることによるものです。それゆえ旧市街は中世ドイツ風、それをとりかこむ新市街は現代イタリア風という街作りでその違いは歴然としています。

 

ドイツの街並みそのままのボーゼン旧市街の裏町


ボーゼンの街をぶらついていて聞こえてくるのはイタリア語が圧倒的に多く、農村部ではドイツ語が多い、という印象です。

 

しかし見るからにイタリア人という人々も普通にドイツ語も話しますから、たぶんバイリンガル教育が行われているのでしょう。それゆえか、ドイツ語住民もイタリア国民として表面上はつつがなく暮らしているように見られます。

 

それはドイツ語をとりもどしたからに相違ないとわたしは考えます。国語の回復が住民のなによりの心の平安をもたらしているのではないでしょうか?

 

さて三回にわたったこの話から、皆さんは何を感じ考えられるでしょうか?

 

わたしは、風来坊さんこと元・平成退屈男さんのブログで語り合った山本夏彦の言葉、「祖国とは、国語だ」をあらためて思い出しました。

 

 

「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。」(「祖国とは、国語だ」、『完本文語文』文春文庫所収)

 

阿比留さんもそのエントリー、政治への「天職」が試されているのかも 

で、わたしのコメントに答えてくだすった言葉に、

「マルコおいちゃん、私はひたすら、日本と日本人が真っ当に生き、そして生き延びてほしいなあ、子供たちが公用語として中国語を学ばないですむ社会であってほしいなあと思っています。ささやかで切実な願いです。」


と述べられています。わたしのこの南チロルについての駄文を読んでくださっているかのごときお言葉でした。

 

われらの隣国・ファシズム大国では、イザ読者にはいわずとも知れたあのような他民族への帝国主義的占領、民族浄化、被占領地へのシナ人大量移民がいまも行われています。そしてわが日本を食いつくし併合しようと虎視眈々と軍拡を進めています。

 

わたしも阿比留さんのもたれる危惧をわが祖国にもたざるをえません。願わくば祖国日本が国語を「祖国」として健全に平穏に維持できうるように、祖国を離れ国語の中にしか「祖国」日本を住めぬ身として何者か人為をこえた存在に祈念するばかりです。

カテゴリ: 世界から  > ヨーロッパ    フォルダ: 南チロル

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コメント(18)

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2007/07/22 18:46

Commented by ナルト改 さん

マルコおいちゃんさん、こんにちは。
香港返還前後に香港に住んでいたので、あのころの香港人の様子は今でも覚えております。
彼らは「天安門事件」の日には黒い腕章とかしたりして、かなり「明日はわが身」との恐怖を感じていたようです。
返還直前に人民解放軍が香港に入ってきたのですが、ニュースでも騒いでおりましたし、それを見る香港人の顔も引きつっていた覚えがあります。
脱出できなかった人々による1997年6月30日の「お祝い」ムードには、どこか投げやりな感じがしました。
それでもタン・ドゥン指揮/ヨー・ヨー・マのチェロ、による『交響曲1997年』のコンサートだけは良かったですけど・・・。

ましてや南チロルは世界全体が剣呑な時代でしたので、さぞ不安感は高かったでしょう。

しかしながら、今の日本も、沖縄ビジョンで「一国二制度」を提唱する政党が参院で第一党とならんとしており、「明日はわが身」に近くなっているような気がします。

「祖国とは国語だ」・・・妙にリアルな響きをもって感じられます。

 
 

2007/07/22 19:21

Commented by 丸山光三 さん

To ナルトさん
こんにちは。コメントありがとうございます。参院選へむけてのエントリー興味深く拝見しています。ただ新風については理解が不足しているのでなにもコメントできません。ただ自民への批判票を民主へ入れるよりはぜひ新風へ、とは考えます。

>香港返還前後に香港に住んでいたので、あのころの香港人の様子は今でも覚えております。
>彼らは「天安門事件」の日には黒い腕章とかしたりして、かなり「明日はわが身」との恐怖を感じていたようです。
>返還直前に人民解放軍が香港に入ってきたのですが、ニュースでも騒いでおりましたし、それを見る香港人の顔も引きつっていた覚えがあります。
>脱出できなかった人々による1997年6月30日の「お祝い」ムードには、どこか投げやりな感じがしました。

それは大変貴重な体験をされました。いつかそれについてのエントリーをあげていただけませんか?

>ましてや南チロルは世界全体が剣呑な時代でしたので、さぞ不安感は高かったでしょう。

あの時代を百年遅れの周回遅れのランナーとしてひた走るのが阿Q帝国主義です。なんか可笑しくもあり哀れでもある風情です。といってもいられないのがその害を直接こうむる日本や台湾ですが。

>しかしながら、今の日本も、沖縄ビジョンで「一国二制度」を提唱する政党が参院で第一党とならんとしており、「明日はわが身」に近くなっているような気がします。

年金データ消滅問題がどうして民主支持になるのか、その辺の論理が理解できません。そのような情報操作に軽々と乗るほどわが国民は愚かなのでしょうか?

>「祖国とは国語だ」・・・妙にリアルな響きをもって感じられます。

祖国を離れた場合はとくにそうです。ナルトさんもそんな経験をお持ちのことゆえによく理解されるのでしょう。わたしは好きでシナ語を勉強しましたが、もしそれが公用語として強制された場合は断固使用を拒否したいと思います。馬鹿なので憶えられないとかいってね。

 
 

2007/07/23 00:06

Commented by sakuratou さん

空の色がイタリアを感じさせますね。
祖国の美しさは国語でなければ表現できないのでないでしょうか。日本語には時の表現、雨の表現、色の表現さまざまあり、その奥ゆかしさは他の国の言葉では表現できません。そう言えば気象庁が天気予報で「宵の口」という表現を止めるとか。情けない話ですが。

 
 

2007/07/23 01:19

Commented by nihonhanihon さん

久々の熱いブログエントリーに圧倒され、自らを恥かしいなと思いつつ、なおかつ、複雑な気持ちで・・・。
人間集団のアイデンテティに関して、言葉は大事な要素ですね。
最近の、さまざまな真相究明によって、実は違うんだということが世間に浸透してきた、半島との問題ではありますが、私が「言語と民族」に興味を持ったきっかけは、”祖国を蹂躪された人の告発”だったと記憶しています。
学校に通っている頃、英語はあまり得意でなく、それに輪をかけるようにこの問題が気になって仕方ありませんでした。はじめは興味津々でしたが、「英語を知らないと二流国民」のような言い方をする同級生らの意見に賛同できず、だんだん、面白くとも何とも思わなくなり・・・。
裏を返せばそんな行動をしても生きてゆけるぐらい、日本人は理想的な環境の下、安寧に暮らせている証拠なのですが。情けない話ですみません。
働くようになって以降も、困惑した事象があります。
20代の頃、若手社員同士で、「英語に対する好感度」というたわいのない、ある種無責任な遊び半分の話題でしゃべっていただけでしたのに、先輩の中に糞真面目に反応する人がいて、「発展途上国の貧しい子供たちはみんな英語をしゃべることができるのに、英語が氾濫する社会を不愉快に感じるなどというのはおかしいんじゃないか?英語の習得を怠けていいというものではないだろう?」という方向違いな(?)感想を述べられたわけでして・・・。
帰宅後、英和辞典を破り捨ててやろうかと思うほど、興奮していた記憶があります。
「サボる意味でしゃべっていたわけではないのに・・・。それになんだ?!日本人も被征服民族にならなきゃいかんのか?」
私も曲解していたのでしょうが、売り言葉に買い言葉というか。
まあ、自業自得というか、かなりひねくれてしまうといった状態でしたので、今になって不便に思う場面もあります。ただ当時は若さの思い上りゆえか・・・。
レベルの低いくだらない話でしょうが、結局、私は頭が悪いので未だに「言葉って何?」についての整理が出来ていないのでしょうね。
今は酔ってますので、また再コメントに来るかもしれません。

 
 

2007/07/23 02:27

Commented by みちこ さん

香港が中国に返還されたら、真っ赤っ赤の旗で埋め尽くされて大変なことになるのでは~!って心配してたけど全然そんな気配はないし、旅行やビジネスで言った人達の話を聞いても「以前のままの香港だよ」って言うから
中国共産党は穏やか共産党なんだ~♪って安心してたのですけど・・・
いつから中国は危険な国になってしまったのかなぁ。(汗)

「祖国とは、国語だ」感慨深い言葉ですね。
そう言えば聖書にも、「始めに言(ことば)があった」と書いてたっけ。
いつまでも美しい日本語を祖国として日本の国と共に生きていけますように。(祈)

 
 

2007/07/23 04:31

Commented by 丸山光三 さん

To 櫻党さん、
>空の色がイタリアを感じさせますね。

アルプスの南側へ行くとほっとします。

>祖国の美しさは国語でなければ表現できないのでないでしょうか。日本語には時の表現、雨の表現、色の表現さまざまあり、その奥ゆかしさは他の国の言葉では表現できません。

もし万一シナ語が公用語として強要されたら櫻党さんもシナ語やめますか?

>そう言えば気象庁が天気予報で「宵の口」という表現を止めるとか。情けない話ですが。

官僚の考えそうなことです。そんなのは序の口でしょうか?

 
 

2007/07/23 04:37

Commented by 丸山光三 さん

To nihonhanihonさん
>久々の熱いブログエントリーに圧倒され、自らを恥かしいなと思いつつ、なおかつ、複雑な気持ちで・・・。

ながーいコメントありがとうございました。前にも述べましたように、いっそ御自分のブログを開設されて思う存分書かれたほうがよいと思います。もうその時期ではないでしょうか?

しかし英語を必要とせずやってこれた日本は素晴らしいと思います。語学なんぞは必要に応じてやればいいのです。あるいは面白半分でね。それ以外の語学はすべて邪道といっておきましょう。

 
 

2007/07/23 04:42

Commented by 丸山光三 さん

To みちこさん
>香港が中国に返還されたら、真っ赤っ赤の旗で埋め尽くされて大変なことになるのでは~!って心配してたけど全然そんな気配はないし、旅行やビジネスで言った人達の話を聞いても「以前のままの香港だよ」って言うから
>中国共産党は穏やか共産党なんだ~♪って安心してたのですけど・・・
>いつから中国は危険な国になってしまったのかなぁ。(汗)

シナはその起源から周辺民族には危険な存在ですし、これからもシナであるかぎりそうあり続けるでしょう。共産党支配かどうかはさして重要な問題ではないと思います。

>「祖国とは、国語だ」感慨深い言葉ですね。
>そう言えば聖書にも、「始めに言(ことば)があった」と書いてたっけ。
>いつまでも美しい日本語を祖国として日本の国と共に生きていけますように。(祈)

海外の日本人はおのずと国語を祖国に、とは考えやすいでしょうが、日本の日本人がちと危ういかもしれませんね。山本夏彦がもっと読まれることを祈ります。

 
 

2007/07/23 12:38

Commented by hinomaru さん

こんにちは

「祖国とは、国語だ」というので、あるテレビ番組を思い出しました。
戦前、台湾の少数民族が自分達の言葉をほとんど忘れ去れようとしたとき、ある日本人が、「民族の言葉は大事だ」と保存活動を進めたという話です。

その少数民族は、その活動に啓蒙され、言葉を守るようにしたところ、皆が民族のアイディンティティが高まり、誇りを持って、行動するようになったとか。 この話をしてくれた少数民族のリーダーがまさしく「言葉とは、民族だ。その日本人(名前は忘れた)に感謝している」と言っておりました。

考えるときは母国語で考えますから、言葉は重要ですね。

 
 

2007/07/23 13:28

Commented by nihonhanihon さん

To マルコおいちゃんさん

>前にも述べましたように、いっそ御自分のブログを開設されて思う存分書かれたほうがよいと思います。もうその時期ではないでしょうか?

あたたかいコメントありがとうございました。

実は・・・8月中(といっても末だと思います)か、9月中から開始するつもりでいます。その後10~12月ごろは、サイバーキャラ”nihonhanihon”ではない、自身の私生活のこともあって、少し見通しは不明ですが、まあ、作っているのではないかと。
「まずは今までに各ブログを訪問して書いたものから”大作”を収集して貼り付けてみよう」という構想もあります。実は。
「現実の世界では困難な叫びを仮想人格で」というのももちろんです。

 
 

2007/07/23 13:38

Commented by nihonhanihon さん

ところで、「少しでもイタリア人が住むところはイタリアに含めるべきだ」というコンセプトで南チロルはイタリアに組み込まれたという解釈でもよろしいのでしょうか?
その場合、どこかの大陸の国の論理に似ているなあ、と思ったリします。さすがはシルクロードの・・・
それと、全然、時代が飛躍しますが、中欧のドイツ人コミュニティのこともあわせて考えると、ローマ辺境とゲルマン人、というあたりでの「民族の境界線」も思い起こしてしまいます。

 
 

2007/07/23 15:53

Commented by 丸山光三 さん

To ヒノマルさん
こんにちは。

台湾といえば、さらに二つのことを考えます。
1)旧「高砂族」、現・「高山族」(他称)あるいは「原住民」(自称)の部族間の(部族の言葉は保持した上で)共通語が日本語であったこと。
2)李登輝先生たちのいわゆる「日本語世代」が台湾語を忘れなかったこと。

>考えるときは母国語で考えますから、言葉は重要ですね。

祖国をはなれ海外で暮らすと、ふと外国語で考えてしまうこともあります。ブログを始めてからはそういうことはほぼなくなりました。ちなみに豚児はもうドイツ人です。日本語はただの(しかもムツカシイ)外国語になっています。

 
 

2007/07/23 15:56

Commented by 丸山光三 さん

To nihonhanihonさん
>実は・・・8月中(といっても末だと思います)か、9月中から開始するつもりでいます。

それは楽しみです。

>「まずは今までに各ブログを訪問して書いたものから”大作”を収集して貼り付けてみよう」という構想もあります。実は。

それでよろしいんじゃないでしょうか。

>「現実の世界では困難な叫びを仮想人格で」というのももちろんです。

困難な囁きだってありますからね、うふふ。

 
 

2007/07/23 16:02

Commented by 丸山光三 さん

To nihonhanihonさん
>ところで、「少しでもイタリア人が住むところはイタリアに含めるべきだ」というコンセプトで南チロルはイタリアに組み込まれたという解釈でもよろしいのでしょうか?

リソルジメントのポリシーがそうだったわけです。

>その場合、どこかの大陸の国の論理に似ているなあ、と思ったリします。さすがはシルクロードの・・・

だから百年周回遅れのランナーなんですね、その「国」は。

>それと、全然、時代が飛躍しますが、中欧のドイツ人コミュニティのこともあわせて考えると、ローマ辺境とゲルマン人、というあたりでの「民族の境界線」も思い起こしてしまいます。

中欧へのドイツ人の移民、いわゆる「東方移民」はまた別の問題でしょうね。冷戦後、それらの子孫が大挙ドイツへ入国してきました。街にはいまやスラブ系の言葉があふれています。
またご指摘のローマ辺境とゲルマン人との関係がこの南チロルに反映しているのでしょうね。

 
 

2007/07/24 00:08

Commented by 商人LV・6 さん

こんばんは~!!!

「国語」は文化でありアイデンティティであるんですよね・・・。
これからもず~っと、日本語を話して日本文化の中で日本食を食べて生きて行きたいんです。

オリンピック、やめませんか?
(´・ω・`)

 
 

2007/07/24 00:41

Commented by 丸山光三 さん

To お絵かき6さん、
こんばんは。

>「国語」は文化でありアイデンティティであるんですよね・・・。
>これからもず~っと、日本語を話して日本文化の中で日本食を食べて生きて行きたいんです。

海外では国語だけが祖国です。日常話すのも外国語だし、で食べるものも日本食だけってわけに行かないモンで。だから結局は読み書きの国語ということになりますか。こっちの場合。

>オリンピック、やめませんか?
>(´・ω・`)

オリンピックそのものもいらないでしょうね。

 
 

2007/07/26 18:23

Commented by 三島明 さん

 日本文化は、日本語と共に、継承されている。これが、宇摩説の説明ですが、このブログで、意を強くしました。
 日本の「和」は、成文化したものが無いのですが、弥生時代から引き継がれています。言葉以外に、その継承方法はありませんが、シッカリ引き継がれています。言葉が心であり、文化で大事なのです。

 
 

2007/07/26 18:39

Commented by 丸山光三 さん

To 三島先生、
国民には二つの課題があります。
1)この国語をしっかり継承すること
2)そのためには国の独立を守ること

1)については戦後占領体制からの自立、
2)についてはシナとコリアからの挑戦への敢然たる対峙
が必要です。どちらも絡み合って簡単ではありませんが、やりぬくしかありません。

 
 
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